2009年12月09日

日本における民間防衛

日本においては2004年、有事法制の第二段として、武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律(国民保護法)をはじめとする関連法が成立し、さらに同日ジュネーヴ諸条約の追加議定書も採択を認可する決議がなされたことで、武力攻撃事態において自衛隊は在日米軍とともに侵略軍からの防除に努め、内閣総理大臣の総合調整権の下、地方自治体を中核とする警察・消防による国民の保護実務のあり方などが定められた。とりわけ、この国民保護法では国民の協力を求め消防団や水防団、町内会や自治会をはじめとした自主防災組織の活躍が期待されている。近年はこれらの組織を民間防衛組織として改編・強化すべきだという意見も一部あるが、憲法や各種法令に触れる可能性が高く(日本国憲法第9条に基づき戦争を放棄しているので、戦争することを前提とした法規の制定は違憲立法である)、国民的同意も乏しいため実現の目処は立っていない。

徹底的な武装中立を志すスイスでは、1969年(ちなみにチェコ事件の翌年である)に、当時の冷戦の高まりを受け、スイス政府がタイトルそのままの冊子『民間防衛』を各家庭に260万部発行・無償で配布した事がある。この冊子の存在は、スイスの国防意識の高さを如実に表すエピソードの一つとして、非常に有名である。
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この冊子は非常に重厚な内容であり、主として戦争の危機に際して必要な準備や心構えなどについて詳しく解説されている(一方で、彼の国ではその心配がないからであろうか、地震・噴火・風水害といった自然災害への備えに関する記述は皆無である)。食料品や燃料の配給統制や食料の貯蔵に始まり、民間の自衛・防災組織の構築、敵国の攻撃によって起こる被害への対処法、核兵器や化学兵器への対策や実際にそれらが使用された際の行動、果ては敵国のプロパガンダやスパイに対する対策や、万が一敵国に占領された場合(但し政府が降伏したのか否かについては一切記述がない)のレジスタンス活動の心得など、有形無形の危機が仔細に渡って解説されている。

2009年11月30日

大洪水について

古代の大洪水にまつわる伝説や神話(大洪水神話)は、世界中に存在し、その発生を主張する学者や研究者も多い。但し、それが、『創世記』やメソポタミア神話(特に『ギルガメシュ叙事詩』)にあるように、世界規模で起こったとする者は少なく、「メソポタミア近辺での、周期的な自然災害」、あるいは、「氷河が溶けた当初の記憶」などと見解の方が多く、「地球規模で発生し、人類や生物の危機となった」とする、それらの神話の記述との食い違いもみられる。そもそも、地球学的にアララト山の山頂近くまで水位が上がることそのものがありえないし、世界的な大洪水が起こったという科学的証拠も存在しない。
メソポタミア地方周辺の地質調査の結果、実際に洪水跡と推測される地層の存在が確認されている。しかし、この災害が、この地方の神話や『聖書』内の大洪水の伝承の元となったとするならば、ローカルなレベルでの比較的大規模な洪水であったという域を出ず、世界的な大洪水の証拠とはならない。
また、方舟に収容された「雌雄一対(つがい)の動物」とは、成体である必要はなく、洪水の期間や塩分濃度その間の餌の確保という(重大な)問題を除くなら、水中で生息できうる動物の収容の必要はない、との見解もある。
『聖書』を信じる創造論者の中には、アメリカ合衆国のグランド・キャニオンなども、この大洪水が原因で生成されたとし、大陸移動や氷河期などもこれ以降に急激に発生し、恐竜などの絶滅もこれに起因し、各種化石もこの洪水の作用によって作られたとする説を唱えるものもいる。
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『灼熱の氷惑星』(高橋実著、原書房1975年発行、現在絶版)にノアの大洪水の原因について天文学的見地から仮説・検証を行っている。約3000年周期で地球を訪れる地球とほぼ同じ大きさの氷(水)で組成された彗星「天体M」によるものと記述されている。地球軌道に近づくにつれ、「天体M」は水の天体となり、地球に接近した時には大音響と共に地球に約600京トンの水をもたらした。その洪水(津波)は直撃地点付近で8750メートルとなり、地球全域を覆い、地球上の海面を100メートル以上上昇させた事が原因であるとし、さまざまな洪水伝説との類似点も検証している。地球は、惑星としてはあまりにも水が多く、その原因として著者は「天体M」を仮説として考えた。

2009年11月26日

カモ

カモ(鴨)とは、カモ目カモ科の鳥類のうち、カリ(雁)に比べて体が小さく、首があまり長くなく、冬羽(繁殖羽)では雄と雌で色彩が異なるものをいう(カルガモのようにほとんど差がないものもある)。分類学上のまとまった群ではない。

日本では主にカルガモ、オシドリなどが通年生息し、全国の河川や湖などで見られる。本邦では多くが冬鳥であるため、冬季にはマガモ、コガモ、オナガガモ、スズガモなど多種が見られる。

野生種では生息数や生息地の減少からワシントン条約や日露渡り鳥条約、日中渡り鳥条約、日米渡り鳥条約、ボン条約(日本は未加盟)などの適用を受けている種も多く、生息地がラムサール条約に登録されることもある。日本では鳥獣保護法で狩猟してよい種と時期、地域、猟具など規制している。
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肉食文化が一般的でない明治維新前の日本で、一部の地域で食用とされた数少ない鳥獣類だった。鍋やすき焼きなどの料理が代表的だが、臭みが強く食用に適さない種もいる。鴨鍋はネギと煮るが、江戸時代にはセリと煮て臭みをとっていた。今日、鴨肉の名称で流通しているものの多くはアヒル(マガモを家禽化したもの)の肉であるが、アイガモ(アヒルとカルガモの交配種)や野生のマガモなどもしばしば食用とされる。

日本語と異なり英語のDuckなどヨーロッパの言語では、基礎語彙のレベルでは野生の鴨と家禽のアヒルを区別しないので、翻訳に際して注意が必要である。バリケンも鴨の範疇に入る。雄はDrakeともいう。

2009年11月11日

南北朝正閏論争

1911年には、小学校の歴史教科書に鎌倉幕府滅亡後の時代を「南北朝時代」とする記述があった点が、南朝と北朝を対等に扱っているとして帝国議会で問題とされた(南北朝正閏論)。文部省の喜田貞吉は責任を取って休職処分にされた。これ以後の教科書では、文部省は後醍醐天皇から南北朝合一までの時代を「吉野朝時代」と記述するようになった。

現実の天皇家は北朝の流れであり、北朝の天皇の祭祀も行っていた。しかし、足利尊氏を逆臣とする水戸学では、南朝を正統と唱えていた。又、幕末の尊王論に影響を与えた儒学者頼山陽は、後小松天皇は後亀山天皇からの禅譲を受けた天皇であり、南朝正統論と現皇室の間に矛盾はないと論じた。南北朝正閏論争以降、宮内省も南朝が正統であるという見解を取った。
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日本国憲法が施行されて思想・信条の自由が保障され、戦前に弾圧されたマルクス主義の唯物史観が復活して興隆した。これにより、皇国史観ではタブー視されていた古代史や考古学の研究が大いに進展した。又、「古代」「中世」「近代」「現代」といった名称も用いられるようになった。これら戦後の歴史学は一般的に「戦後史学」と呼ばれ、こうした戦後民主主義の流れが発達する中で、皇国史観は衰退した。

しかし、戦後になっても;文部省検定の歴史教科書が、元号による時代区分を続けていたり;小中学生向けの日本史学習漫画が、元号による時代区分と「天皇の御心」的な記述を記載したりするなど;戦前の皇国史観に則った発想が完全に払拭されたとは言い難い。

2009年10月30日

吸込口

メーカーにより、ノズル、ヘッド、ブラシなどとも呼ばれている。ほとんどの床移動型家庭用掃除機には床用吸込口、棚用吸込口、すきま用吸込口が標準で付属する。

床用吸込口 : 最もよく使用される吸込口で、吸込口のすきまに速い気流が生じて、ホコリやゴミが吸引されるほか、回転ブラシを備えたものは、掃く、拭く、かき出す、叩くなどの効果があるため、さらに効率よくホコリや髪の毛などを吸引できる。回転ブラシは、モーター駆動方式と、小型の風車に気流を導いて回転させる駆動方式がある。吸込仕事率が小さい掃除機は、吸込口のすきまが狭く設計されていることが多いため、大きいゴミを吸い込みにくい。
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棚用吸込口 : 吸込口の回りに柔らかいブラシが付いているため、棚や家具に付いたホコリを掃くように掃除できる。
すきま用吸込口 : すきまに入るように先が狭くなっている細い吸込口で、最も速い気流が生じるためゴミを強力に吸い取ることができる。
ふとん用吸込口 : ふとんに吸い付かない機構を持ち、ふとんや毛布を効率よく掃除できる。ふとんを叩く機構を持ったものもある。

2009年10月20日

三曲

三曲(さんきょく)は、地歌三味線(三弦)、箏、胡弓の三種の楽器の総称。またはそれらの音楽である地歌、箏曲、胡弓楽の総称。後に尺八が加わった。また三曲合奏のこと。

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いつ頃から使われたかはっきりしないが、三種の楽器を合わせる意味においていくつかの用例がある。もともと地歌三味線、箏、胡弓は江戸時代初期から当道座に属する盲人音楽家の扱う楽器であり、彼らによってそれぞれの楽器による音楽である、地歌、箏曲、胡弓楽が順次成立した。これらの楽器や音楽を、同じく彼らの専門音楽であり、はるかに以前から行なわれて来た「平曲」 (平家琵琶の音楽) に対して区別するために「三曲」という言葉が使われ始めたのではないかと思われる。ただし江戸時代中期には箏、胡弓、尺八の合奏を「三曲」と呼んだ記録もあって、単に三種の楽器の組み合わせを漠然と「三曲」と呼んだ可能性もある (尺八は当道座の楽器ではない) 。「三曲」という言葉が文献に見えるのはこの頃からである。江戸時代初期には色々な楽器が合奏されていたようだが、まだ「三曲」と呼ばれた記録は見つかっていない。やがて芸術音楽として確立されるに従い、地歌、箏曲、胡弓楽は独自の楽曲を持つようになり、合奏されることのない、それぞれ独立した別個の音楽として成立した。

2009年06月20日

糖鎖(とうさ)とは、各種の糖がグリコシド結合

糖鎖(とうさ)とは、各種の糖がグリコシド結合によってつながりあった一群の化合物を指す。結合した糖の数は2つから数万まで様々であり、10個程度までのものをオリゴ糖とも呼ぶ。多数のα-グルコース分子が直線上に結合したアミロースやセルロースは最も単純な糖鎖といえる。

糖鎖は糖同士だけでなく、タンパク質や脂質その他の低分子とも結合して多様な分子を作り出す。これら糖タンパク質、糖脂質は生体内で重要な生理作用を担う。

生体内での糖鎖 [編集]
アミロースやアミロペクチン、グリコーゲンなどは、グルコースを多数結合させて、体内でのエネルギー源として保存しやすい形に蓄積したものといえる。またセルロースやキチンなどは丈夫な繊維になるため、動植物の体を構築する素材として重要である。糖タンパク質の糖鎖には、セリンやスレオニンのヒドロキシ基にα結合しているO-グリコシド結合糖鎖と、アスパラギンのアミノ基にβ結合しているN-グリコシド結合糖鎖がある。N-グリコシド結合糖鎖はサイトソルと小胞体で合成され、オリゴ糖転移酵素 (OST) によってタンパク質のアスパラギンに結合させられる。この糖鎖は熱ショックタンパク質のフォールディング に関わっているものもあり、それらはシャペロンといわれる。O-グリコシド結合糖鎖にはムチン型糖鎖、プロテオグリカン、糖脂質などがある。

細胞表面にもシアル酸を含むガングリオシドなどの糖鎖は存在しており、これらは細胞接着、抗原抗体反応、ウィルスの感染など細胞のコミュニケーションに重要な役割を担う。例えば血液型(ABO式)の違いを作り出しているのも、糖鎖の構造の差である。また生理活性を持つ低分子の中にも糖鎖を持つものがあり、これらはDNAの特定の配置を認識して結合するなどしてその作用をアシストしている。
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生活習慣病
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スクエアダンス
化学工学
ストリートダンス
地球
人形劇
生態系

構造の多様性 [編集]
糖鎖はタンパク質・DNAに続く第3のバイオポリマーと呼ばれるが、その重要な特性は構造の多様性にある。タンパク質・DNAの素材であるアミノ酸や核酸塩基は一列に並ぶことしかできないのに対し、糖は多数のヒドロキシ基が全て結合に活用しうるため、枝分かれして複雑な構造を作り出すことができる。またグリコシド結合のα・βの異性体も考え合わせれば、考えられる糖鎖の数はさらに増える。糖の種類自体もペントース、ヘキソース、アミノ糖、ウロン酸類、デオキシ糖などバリエーションが多いため、糖鎖の種類は実に膨大なものになる。糖鎖が情報を担う分子であるのは、こうした条件によっているといえる。

糖鎖の合成 [編集]
遺伝子工学の進展によりタンパク質の合成が簡単にできるようになったのに対し、糖鎖の合成は純粋な化学合成に頼らざるを得ず、これが糖鎖の機能解明を阻む大きな要因となっている。化学合成による手段も、前述したように糖鎖の構造は複雑であるため十分発展しているとは言い難い。

まず糖の特定のヒドロキシ基だけを反応させるために、他のヒドロキシ基との反応性の差を利用して保護基をかける必要がある。様々な条件で脱保護できる保護基が開発されており、グルコースなど一般的な糖には選択的な保護を行うための手段が確立されている。ただしこの保護だけでも多段階を要し、高い技術が必要となる。

グリコシル化反応も臭化糖、フッ化糖、アセトイミデート、チオグリコシドなど様々な誘導体を用い、立体を制御しながら糖同士を結合させる反応が数多く開発されている。ただしこれらによってもまだ収率・選択性など十分とは言い難く、自由に必要な糖鎖を作り出せる段階にはまだ遠いのが現状である。固相合成によって効率よく合成を行う手段も検討されつつある。

また、近年糖転移酵素を用いた酵素合成も盛んに行なわれて来ている。シアル酸転移酵素、ガラクトース転移酵素、フコース転移酵素などの一部は糖核酸を供与体として、適切な基質を選択する事で、高収率、高選択的に目的の糖を導入する事ができる。

化学合成と酵素合成を併用した、chemo-enzymatic な方法は、生理活性糖鎖を合成する有力な方法の一つになっている。


2009年06月02日

バルチック艦隊の出航

1904年10月15日、バルチック艦隊はリバウ軍港を出航した。10月21日深夜、バルチック艦隊は北海を航行中にイギリスの漁船を日本の水雷艇と誤認して攻撃し、乗組員を殺傷してしまう(ドッガーバンク事件)。これによってイギリスの世論は反露親日へ傾き、イギリス植民地の港へのバルチック艦隊の入港を拒否した。以後バルチック艦隊はイギリス海軍の追尾を受け、これをしばしば日本海軍のものと勘違いして、将兵は神経を消耗させられた。[6]

1905年3月16日、バルチック艦隊はフランス領マダガスカル島のノシベ港を出航した。この時点で旅順要塞は陥落し旅順艦隊は壊滅していたため、日本艦隊に対する圧倒的優位を確保するという当初の回航の目的は達成困難になっていたが、バルチック艦隊はウラジオストクを目的地として航海を続けた。インド洋方面にはロシアの友好国の港は少なく、将兵の疲労は蓄積し、水、食料、石炭の不足に見舞われた。5月9日、第2・第3太平洋艦隊はフランス領インドシナのカムラン湾で合流した[6]。
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連合艦隊の警戒網 [編集]
日本海軍の連合艦隊は、1904年8月10日の黄海海戦でロシア太平洋艦隊主力の旅順艦隊に勝利し、8月14日の蔚山沖海戦でウラジオストク艦隊にも勝利して、極東海域の制海権を確保した。1905年1月1日には旅順要塞が降伏して旅順艦隊の残存艦艇も壊滅したため、一旦ドック入りさせると共に、入念に射撃訓練を行ない、バルチック艦隊の迎撃に専念できるようになっていた。

問題はバルチック艦隊をどこで捕捉迎撃するかである。カムラン湾からウラジオストクへの航路としては対馬海峡経由、津軽海峡経由、宗谷海峡経由の3箇所があり得た。3箇所すべてに戦力を分散すれば各個撃破されかねず、戦力を集中していずれか1箇所に賭けざるを得なかった。とはいえ、バルチック艦隊が宗谷海峡を通過するためには、距離が遠いため日本本土の太平洋側沖合いで石炭を洋上補給する必要がある。津軽海峡は日本側の機雷による封鎖が厳重になされていた。このようなことから連合艦隊司令長官東郷平八郎大将は、バルチック艦隊は対馬海峡を通過すると予測し主力艦隊を配置するとともに周辺海域に警戒網を敷いた。

2009年04月30日

大祚栄

大祚栄(だいそえい)は渤海の初代王。唐から与えられた称号は渤海郡王であり、忽汗州都督府都督の官職を受けた。

大祚栄や渤海国の成り立ちに関して『旧唐書』は「渤海靺鞨の大祚榮、本は高麗の別種なり」(渤海靺鞨大祚榮者 本高麗別種也)と記し、『新唐書』はより具体的に「本来高句麗に付いていた粟末靺鞨の者で、姓は大氏である」(渤海,本粟末靺鞨附高麗者。姓大氏) とする。

大祚栄は696年 に営州地方で父の乞乞仲象と共に自立を画策し、698年には自立の動きに反対する唐軍を破り震国を建国した。

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唐は渤海を牽制するために、大祚栄に官職を与える懐柔策や、軍事的な圧力を加えることで緊張関係が継続していたが、705年には唐の招安に応じ、唐の朝臣としての地位を確認、唐も結局713年に「渤海郡王」の称号を与えるに至り、同時に忽汗州都督府都督を兼任することで正式に冊封体制に組み込まれるに至った。

外交関係としては、唐との修好関係以外に、突厥、契丹、新羅、日本との外交関係も構築し、海を隔てた日本を除く4ヶ国との緩衝国家としての地位を評価する説も存在している。

719年に亡くなり、その地位は息子である大武芸に継承された。

2009年04月15日

ナバテア王国

ナバテア王国は紀元前2世紀前半頃にペトラ(現在のヨルダン西部)を中心に栄えたナバテア人の王国。紀元前63年にローマの属国となり、106年にアラビア属州に併合という形で滅亡した。

ナバテア人は元来北アラビアを起源とする遊牧民族であり、羊の放牧や盗賊稼業、貿易などを行いながら、当時エドム人が居住していたペトラを拠点に生活していた。紀元前4世紀前後には1万人弱だったナバテア人の人口は紀元前2世紀頃になると20万人近くに膨れ上がり、深刻な人口増加問題を抱えるようになる。もはや遊牧生活では立ち行きが難しくなったナバテア人はその頃から定住生活に移行を始め、エドム人の住むペトラに腰を落ち着けるようになり、ナバテア王国が誕生した。

歴史 [編集]
もともと馬を使った貿易を行っていたナバテア人の定住により、シルクロードの通商上の要所でもあったペトラは、隊商都市として繁栄を極める。優れた潅漑・貯水機能を有し、砂漠の都市にも関わらず水に不自由することは無かったという。交易により巨万の富を築いたナバテア王国は紀元前1世紀頃よりその隊商路に沿う形で領土を拡張していき、紀元後1年のアレタス4世の時代にはその領土をダマスクスからヒジャーズ地方までの砂漠周辺部とネゲブ地方まで広げ、メソポタミア、南アラビアから地中海にいたるほぼ全ての隊商路を掌握した。

しかし、紀元前63年にローマより攻撃を受け属国化する頃から次第に国力が衰えていき、106年には首都として機能していたペトラをローマに占領される形となり、アラビア属州に併合された。海路の発達と、363年に発生した大地震の影響からペトラ自体も隊商路として機能しなくなり、その機能をパルミラに移す形で次第に表舞台から姿を消す事になる。その後1812年にスイス人ヨハン・ルートヴィヒ・ブルクハルトによりペトラ遺跡として紹介され、1958年からイギリス・アメリカの合同調査隊がペトラ遺跡の発掘調査を実施し、ローマ時代以前のペトラについて明らかにされることとなった。
ナバテア人の言語についてであるが、マカバイ記1および2、フラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ古代誌』ではナバテア王国を「アラビアの王」と読んでおり、発掘されたナバテア文字碑文の人名研究からアラビア語の特徴が顕著であるため、アラビア語の一派であったろうと考えられている(タバリーなどのアッバース朝時代以降のイスラーム圏の歴史家たちもナバテア人をアラブ人の一派であると認識していた)。彼らは帝国アラム文字の後身のひとつであるナバテア文字を使用していた。紀元前3世紀頃から紀元後5世紀頃まで、シリア北部からアラビア半島南部のイエメンまでの広い地域に多数のナバテア文字碑文群が確認されているが、これらはナバテア人の活動範囲の広がりに重なるものと考えられ、碑文群は殆どの場合、アラム語によって書かれている。

紀元前後からアラビア半島からメソポタミア、シリア全域にアラブ系の諸部族が交易や定住などで多数進出していたことが知られている。これらのアラブ系の諸勢力はもともと完全に独自の文字をもたなかったが、話し言葉は当然ながらアラビア語系であったものの、多くの場合、書き言葉としてアラム文字とアラム語を借用していたようである。ナバテア人もまた同じくアラム文字を独自の書体に変化させたナバテア文字を用い、アラム語で碑文などを書いていた。今日のアラビア文字の元となったのは、4世紀から5世紀頃にアラビア半島西岸のヒジャーズ地方を中心に用いられていたナバテア文字の一種から派生したと考えられる。特に5世紀以降からナバテア文字や最初期のアラビア文字によってアラム語ではなくアラビア語で書かれた碑文が見られるようになる。

その他ペトラ周辺では南アラビア文字と呼ばれる文字が多数発見されているが、どのような経緯でナバテア人に伝わったのかははっきりしていない。

政治 [編集]
ナバテア王国は王制であったが商業貴族が大きな権力を持っており、どちらかというと民主政治に近かった。首都であるペトラ以外の各都市には王の代官が在住し、政を行った。また、ペトラには裁判所らしきものもあったようであり、かなり高度な統治を行っていた事が伺える。

また、騎馬隊を保有しており、隊商路の防衛などにあたらせていた。

産業 [編集]
香料を中心とした貿易と、交易による関税収入が主収入となっており、ナバテア人の大部分は隊商活動に従事していた。その他農業やブドウやイチジクなどの果樹栽培、家畜の飼育なども行っていた。

宗教と文化 [編集]
エドム人から教わった陶芸の技術を元に土器を作成するなどしていた事が明らかになっている。宗教基盤として古代アラブ人の宗教観を持っており、主神としてオアシスの豊穣を司るドゥサレス、アッラートを信仰していた他、原始的な石柱崇拝や山岳信仰も存在していた。

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